原民喜と出会う

原民喜著『夏の花』3部作を読んだ。新潮文庫出版の平成30年9月25日47刷の『夏の花・心眼の国』に収録されている。

昨日の6日の夜、米イリノイ州ウィートン大学英文学部准教授である野中美峰さんのツイートが流れてきた。この作品を授業で取り上げたときの様子が書かれていた。

原爆体験が書かれた作品をアメリカの学生が読んでいるのに日本人である私が読んでいないのは当事者としてちょっとまずいんじゃないか。そういえば何年か前に買っていたが積読してたなと思い本棚から引っ張り出して読んだ。

1部は『破壊の序曲』で、主人公の兄弟(長男:順一、次男:清二、三男:正三、長女、次女:康子)のうち、三男である正三(原民喜)が妻を亡くしたあと、広島の本家に戻ってきて、岩手の友人に手紙を書いているところから始まる。敗戦する前の冬である。そこから8月4日までのことが淡々とした生活の中で、人々の行動やその表情から陰鬱とした空気を漂わせながら描かれている。硫黄島が陥落し、沖縄も陥落し、敵機が頻繁に自分たちの上を飛び回り爆弾を落としていく。1億総玉砕が叫ばれ、負け戦になる本土決戦が目前になった人たちの心境はかなり苦しかっただろう。

2部が『夏の花』だ。爆心地からおよそ1.2kmの地点で被曝した著者の実体験が書かれている。原爆が投下される2日前から被曝後およそ3日間のことを中心に描かれている。1部であった主人公たちの視点はもうなく、ひたすら自身の視点のみによって描かれる。その詳細な描写から壮絶な状況が目の前に浮かんできて読んでいてかなり辛かった。

3部は『廃墟から』。これは被曝後およそ一月半のことが実体験として書かれている。最後は兄嫁の身内のお話で締めくくられている。その身内である槙氏が上海から復員して広島に帰ってきたら、原爆で行方不明になっていた奥さんと子をひたすら探し歩くお話だ。家族を探していると道ゆく人々が自分によく挨拶してくる。はて知り合いだったかな?と首をひねっていると、その人々もまた人を探しているのである。なんとも切ない話だ。おそらくあれから78年を経る中で、もう見つからないと諦めた遺族もいただろう。しかし身元不明の遺骨も多く、遺族の元に帰られていない方もいるというそのすれ違いにも胸が締め付けられる想いだ。

読後、これを書いた人はどんな人だっただろうと、文庫本のカバーに載っている原民喜の紹介文を読んだ。そこに「’51年、『心願の国』を遺し、自殺した」と書かれてあった。

遺書も同然な『心願の国』も読んでみた。描かれている胸の内が純粋すぎて宝石みたいな文章だった。読んでいるうちにぽろぽろ涙が出てきてしまった。

ネットで少し調べたら彼はおそらく発達障害の気があった。梯久美子著の『原民喜-死と愛と孤独の肖像-』の序章にこうあった。

原民喜は口が利けないのか、利きたくないのか、利きようを知らないのか、それは判ら
ないが、手足もうまく動かせないのである。障害が機能にあるのではないが、たとえば回
れ右とか歩調とれとかの動作、教練・体操のことごとくができない、という。だからその
時間は教師・生徒たちのなぶり者にされ、嘲いとからかいと罵りのなかで、できない動作をくりかえさせる号令に、まちがいだらけの動作をくりかえし、無言できりきり舞いをつ
づけ、笑い声に包まれるのだ、という。 (長光太「三十年・折り折りのこと」より)

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そういえば『夏の花』の作中、正三(原民喜)が口を開くのは2〜3回だった。
あまりにも不器用すぎる身を持ちながら、妻を亡くし、郷里に帰ってきたところに原爆が落ちて被曝しそれでもなんとか生きようとしていた姿が、彼が亡くなってから72年を経て今、私の前に現れた。
この人のことを、この人との出会いを大事にしたいと思った。